2013年8月10日(土)天気・・・
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ついにカメラが「レンズエラー」となり壊れてしまった・・・。
もう撮影は出来ない(-_-メ
つまり駅巡りが出来ない・・・。
はぁ・・・、どうしたものか・・・。
せっかく大阪まで来たというのに(笑)
駅巡りが出来ないなら、奈良の観光でもしてくるか。
と気が変わり、次の電車に乗ります。
瓢箪山駅を発車した電車は上り坂をぐんぐん上っていきます。
↑大阪と奈良の間には生駒山地の壁が立ちはだかり、
■近鉄奈良線はそれをトンネルでぶち抜く大胆なルートを通っていますw
石切駅~生駒駅間の生駒山地をぶち抜く新生駒トンネルは全長およそ3.5kmというとてつもなく長いトンネル。
瓢箪山駅から生駒(いこま)駅までは断続的な上り坂(奈良方面から見ると下り坂)があります。
だが1948年、この坂が災いすることになったのだ。
(ちなみにこの新生駒トンネルは1964年に開通したもので、それまでは生駒トンネルという古いほうのトンネルを使用していました)
ちなみに生駒トンネル(新生駒トンネルの旧トンネル)では戦後に事故が頻発していて、
・1946年12月24日
生駒トンネル内で信号待ちをして停車中だった急行電車に普通電車が追突。死者1名、負傷者54名を出す大惨事となりました。原因は普通電車の運転士の信号の見間違い。
・1947年4月16日
生駒トンネル内を走行していた電車から火災が発生。死者28名、負傷者65名を出す大惨事に。
・1947年8月19日
またもや生駒トンネル内を走行していた電車から火災が発生。死者は出なかったものの負傷者92名を出す大惨事に。
・1947年11月1日
生駒トンネルの東側で走行中の回送電車が故障して停車していたところ、後ろから別の回送電車が追突し、車掌1名が死亡。
生駒トンネルでは1946年から1年間で4件もの大きな事故が発生し、
生駒トンネルは「呪われたトンネル」という噂が飛び交うようになりました。
そして、運命の日、1948年3月31日が訪れる。
1948年3月31日、大事故が起こる1時間前。
同じ■近鉄奈良線内にある額田(ぬかた)駅で電車がオーバーランを起こしました。
このとき、運転士の運転操作ミスが原因でオーバーランが発生したと考えられ、
車両の点検も行わずに運転を再開させてしまったのです。
しかし本当の原因は運転士の運転操作ミスではなく、ブレーキの故障が原因だったという。
そしてその電車は7時20分(大事故の32分前)、奈良駅で大阪上本町行きの急行電車として、奈良駅を出発。
そのまま運転し、生駒駅に到着する際にまたその電車がオーバーランを起こしました。
しかしこれも運転士の操作ミスが原因と判断され、そのまま車両の点検を行わずに運転を再開させてしまいました。
そして、生駒駅を発車したその電車は、生駒トンネルに入り、大阪方面に向けて下り坂を下っていきます。
生駒トンネルを抜けるとすぐの位置に急カーブがあるため、速度を落とさなければいけません。
なので、運転士はいつも通りブレーキを操作しました。
しかし、運転士はとんでもないことに気づく。
ブレーキが、全く効かない‼
しかも、生駒駅からはおよそ7.5kmに渡ってずっと下り坂が続きます。
そしてその先には、先行する普通電車と準急電車が走行中です。
このまま進むと前を走る電車に追突してしまう!!
なんとしてでもブレーキをかけて電車を停車させなければ!!
そう思った運転士だが、何度ブレーキを操作してもまったくブレーキが効かない!!
そして運転士「この列車は停車できません!!覚悟してください!!」と放送を入れる。
下り坂は続き、どんどん電車の速度が上がっていきます。
列車はブレーキが効かぬまま生駒トンネルを通過し、
生駒トンネルを通過してすぐの場所にある急カーブに差し掛かりました。
レールから火花を散らしましたが、幸い、ここでは脱線は免れました。
しかしまだまだ下り坂が続き、電車の速度は見る見るうちに上がっていきます。
そして停車予定だった石切駅をそのまま通過。
だってブレーキが効かないのだから。
石切駅を過ぎてもまだまだ下り坂です。
ますます電車の速度が上がっていきます。
石切駅にいた駅員が、停車するはずの電車が物凄い勢いで通過したところを発見し、
慌てて運転指令室に連絡します。
その情報を受け取った指令員は、先の瓢箪山駅の駅員に電話をしました。
「後続の急行電車が石切駅を通過して暴走している。今すぐ前の準急電車を瓢箪山駅に待避させろ!!」
↑ちょうど瓢箪山駅では、暴走急行の1本前を走っている準急電車が通過するところでした。
駅員はすぐさま瓢箪山駅のポイント(分岐器)を待避線の方向に切り替えました。
↑そして準急電車が瓢箪山駅の待避線に入った瞬間、
暴走急行が物凄いスピードで一瞬で瓢箪山駅を通過しました。
危機一髪で瓢箪山駅での追突事故は免れたのです。
しかしまだまだ暴走急行電車はとまりません。
その更に前には普通電車が走っています。
その普通電車も待避線に入れなければ暴走急行に追突されてしまう。
指令員は河内花園駅にも電話を入れましたが、たまたま駅員が不在でつながりませんでした。
そして、暴走急行はブレーキが効かないまま、
そのまま暴走を続け、ついに・・・。
河内花園駅で暴走急行電車が普通電車に追突し、死者49名、負傷者282名を出す大惨事となってしまいました・・・。
■近鉄奈良線にはこんな悲惨な歴史があるのです。
このような事故が教訓となって、こんにち、鉄道の安全性が実現できているのです。
私たちは日頃の安全性に感謝を(以下略 ←略すな!!
この事故でお亡くなりになった方々には心よりご冥福をお祈りいたします。
話を戻します。
長い新生駒トンネルを超え、生駒駅に到着。
生駒も初めてです。
生駒駅から少し歩いた位置に■近鉄生駒鋼索線というケーブルカーの路線があるので暇つぶしに乗ってみることに。
生駒駅の改札口を出ました。
出たはいいけど、■近鉄生駒鋼索線ののりばがどこかわからない。
案内サインもわかりづらい。
仕方ないのでスマホで調べてなんとか■近鉄生駒鋼索線の鳥居前(とりいまえ)駅に歩いて到着。
↑鳥居前駅
さすがケーブルカーの駅だけに派手です。
↑改札口
自動改札機はありません。
改札を入るとそのままホームに直結しています。
次回はケーブルカーの旅です!
つづく